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ミャンマーと呼ばれる世界(1) ビルマ編Ⅰ

 

 

 こんにちは、森本です。新型コロナウイルスの勢いが留まることを知らず、不安を抱えつつも毎日を過ごす今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 

 

 

 前回、我々のミャンマーに対する認識がかなり浅いものだということ、ミャンマーをさらに理解する上で、文化・地域・民族・宗教などの理解が重要であり、一番の近道だということを述べました。

 今回から、ミャンマーを8つの地域に分割し、それぞれどのような文化を持ち、何の宗教を信仰しているのかを、要旨をまとめてご紹介していきたいと思います。

 

 

 

 では早速、紹介を。

 と言いたいところですが、まずは前回の最後に触れた「世界」という表現について述べていきたいと思います。

 

 

そもそも「世界」とは?

 

 前半のブログでは前回説明できなかった、なぜ「世界」と表記するのか、という疑問を解消していきます。

 

 

 このブログのタイトル「ミャンマーという世界」には『国』という単語を使わず、あえて『世界』という単語を使用しています。では、なぜこのような使い分けをしているのでしょうか。

 一般的な認識では、ミャンマー=『国』です。(もちろん、これに当てはまらない人もいらっしゃると思います。)ミャンマーは、国家成立の三要素「国民」・「領土」・「主権」をすべて有していますので、事実、『国』として成立しているのです。

 

 

 『国』なら『国』と言えばいいじゃないか。そう思われる方もいると思います。

 

 

 実際、その通りです。『国』ではなく『世界』という単語を使用しているのは、少しずれているどころか、「『国』と『世界』の違いを知らないのでは?」と若干心配をもよおすレベルの誤りであるかのように見えるのも、間違いではありません。

 

 ただ、これらは全て…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちの視点から見れば、の話ですが。

 

 

  一般的にも、ミャンマー=『国』です。もちろん、ミャンマーに住む方々も「ミャンマーは国だ」と語る方も、いらっしゃいます。

 ですが、ミャンマー人の方々の中には、自分の住む場所に対して、「ミャンマーという『国』の一部だ」という認識よりも、自分の住む地域を一つの『世界』として認識している方々がいるのです。

 

 

 抽象的過ぎて、分かりにくいと思いますので具体例を。

 

 例えば、私は大阪の高槻市出身なのですが、子供の頃、自分の周りが世界の全てだと考えていました。当時は無意識に感じていたことですが、今振り返ると、「高槻」という世界が存在し、自分は「高槻」という世界に住んでいるのだと認識し、「高槻」には「高槻」の文化が存在し、他の「世界」とは違うものなのだと思っていたのです。

 全員が私と同じような体験をしているわけではありませんが、このような感覚を味わったことのある方は、少なからずいるのではないでしょうか。

 

 

  この具体例は私の実体験を混ぜて作ったものであり、前述した内容を少しでも簡単に伝えられるよう配慮したものです。決して「ミャンマーの方々の認識が幼いころのままで止まっている」と主張しているのではありません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ミャンマーと呼ばれる「世界」

  

 

 ミャンマーでは「地域」に住んでいるというよりも、自分の住む地域を一つの「世界」として認識されていることが度々見受けられます。独自の文化、独自の言語、風習、死生観など多種多様な要素が自分たちの住む「世界」を構成し、他の地域(ここで言う『世界』)とは全く違う生活を営んでいる、と考えられているのです。

 

 また、我々が俗にいう「少数民族」という認識を持たない方もいらっしゃいます

 

 もちろん、人口が少ないゆえに「少数民族」だということを認識している方もいらっしゃいますが…。

 

 

 ただ、「少数民族」という表現をあまり使わない方々にとっては、自分たちの住む「世界」の中では、「○○民族が主要民族で、△△民族が少数民族だ」という関係でなく、「○○民族と、△△民族がいる」という関係がなのです。

 

 人口や支配力に応じて、第三者である我々が、「主要民族」や「少数民族」と言っている分類が、ミャンマーの中で

通用しない場合があるのです。

 

 

 こちらも具体例で表現しますと…

 

 大阪に住む人々が、大阪を日本という「国」の一部として認識しているのではなく、「大阪世界」と考えていて、「たこ焼き」や「吉本新喜劇」、「食い倒れ太郎」や「通天閣」などの、その土地ならではの文化や食べ物・建造物が、その「世界」の構成要素であり、大阪世界には「天王寺」民族や「新世界」民族が併存している、と認識しているような感じです。

 

 現に「我々が『東京』と『大阪』って同じ場所でしょ?」と聞いたときに、「日本」という国を見て「はい」と答える方もいれば、「東京」や「大阪」などの地方を見て「いいえ」と答える方もいるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで引っ張り、結局、何が言いたいのか。それは…

 

 

 

 ミャンマー人のミャンマーに対する認識と、日本人のミャンマーに対する認識は、必ずしも一緒ではない

 

 

 ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「え、当たり前では…。」

 

 

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 心の声が聞こえてきた気がしますが、まさにこの一言に尽きると思います。

 ただ、当たり前に感じることほど、盲目になることがあるのです。

 どうか、もう少しお付き合いください。

 

 

 

 

 私たちは、ミャンマーという国を、表面的な部分を見るだけで判断しまいがちです。前回のブログの質問に、答えられた方がそう多くないことや、ミャンマーの民族に対して「主要民族」・「少数民族」とズケズケと分類する点を鑑みると、私たちは「一を聞いて十を知る」のではなくむしろ、「一を聞いて十を知った気になり、百を語る」ことが、度々あるように感じます。

 

 

 私が「世界」と表現するのは、まさにこの部分を意識しているからにすぎません。何か、新しい理論を展開したり、ミャンマーに対する新しい価値観などを持っているが故に、「世界」と表現するのではないのです。

 

 

 

 

 

 ミャンマーに住む方々が、自分たちの住む地域を「世界」と認識するならば、私たちも同じように「世界」として認識し、彼らが「主要民族」や「少数民族」の存在を留意しつつも、ミャンマーにいる様々な民族の内の、”ひとつの「民族」”だという認識を持つのであれば、私たちも同様に「主要民族」・「少数民族」という認識を持たずに、様々な「民族」と認識しつつ、ミャンマーという国を見るのです。

 

 

 

 

 さて、今回のブログはここで終わります。「ビルマ編」と言っておきながら、全くビルマに関して取り上げずに終わってしまうのは、「騙した」感じがして気が引けますが、次回「ビルマ」に関してじっくり紹介しますので、どうか今回はお許しください。

 

 では、またお会いしましょう。

 

 

 

 

 森本