足掛け1年! コロナ禍から当会が支援を続けて、生活が好転

左写真:再就職の入社案内に同行するNPOリンクトゥミャンマーの深山(中央)と通訳TUN(右)

 

右写真:ハローワークに同行する様子


皆様こんにちは。

 

NPOリンクトゥミャンマーの理事長の深山沙衣子です。

 

今回は、当会で主に行っている「在日ミャンマー人定住支援」について、あるミャンマー人の方の話をもとに、日本における「外国人への定住支援」とはどういうものか、ご紹介したいと思います。

 

 

神奈川県在住の、あるミャンマー人男性(50代)は、ホテル清掃を午前中行い、午後は居酒屋の皿洗いをして、生計を立てていました。日本の在留10年超。難民申請後に在留特別許可が出て、日本に定住しています。初来日が40代頃だった彼は、子どもで来日する移民と違い、彼らにとっての外国語「日本語」の習得が簡単ではありません。しかし、日本語は片言で話せます。大方の聞き取りもできます。

 

そして日本に住む外国人は、ビザの種類にもよりますが、アルバイトで生計を立てているパターンが少なくありません。

 

非正規雇用が外国人に多い理由の一つは、正社員で求められる仕事の種類や量が、日本で生まれ育った人でないと100%やりきれないものであるケースが見受けられます。一方で、アルバイトや派遣社員には、例えば仕事の全工程のうちの一部を切り取って労働者に任せる場合が多いので、日本語が完璧でない人々でも取り組みやすくなっています。雇用の安定という意味での適正さは置いておいて、非正規雇用による外国人人材は、現在の日本社会で「多様な人材に活躍してもらう」という現状の一つであるとは思います。

 

よって、「普段から正社員を目指していないのだから、不景気になると仕事が減るのは当然」という意見は、外国人に限らず、日本社会で様々な能力のある方々に活躍していただく意味において、当てはまらないこともあります。しかしこの論は、「すべての仕事をこなすことができる=正社員」という理屈の上で成り立っており、どのような人材も正社員となる権利があるというご意見があるのも分かります。

 

 

 

それはさておき、2020年1月頃から、このミャンマー人男性(ここでは「Kさん」とします)は新型コロナウイルスの影響で外国人観光客がいなくなり、居酒屋とホテルの仕事が一時期ほとんど消失しました。飲食業界や観光業界という新型コロナウイルスの影響を多く受ける企業では、緊急事態宣言が出るたびに、労働者の出勤数は減り、給与は激減します。非正規雇用者ならなおさらです。

 

新型コロナウイルスの影響を受けて減益した企業の従業員向けに休業手当を政府が支給する #雇用調整助成金 は、2020年に制度が本格運用された当初は申請方法が煩雑で、現場で労働関係の申請書類の提出に慣れていない企業では、利用しない場合がありました。企業にとって、自分たちの実業が大打撃を受けているときに、煩雑なアルバイトの休業手当申請を政府にするのは大変だというのはわかります。

 

加えて、正社員ならまだしも、アルバイト従業員の雇用調整助成金申請を重視しない企業もあると、私は外国人定住支援をしているときに感じることはありました。

 

当会では、このミャンマー人が務める企業に電話し、雇用調整助成金申請をする意図があるか確認し、残念ながら申請意図がなかったため、労働者自らが休業手当を申請できる休業支援金の申請を行いました。

 

そして、給与がほとんどない時期は、家賃補助となる住居確保給付金を申請、社会福祉協議会から融資を受けられる緊急小口資金の申請、国民健康保険支払い免除申請、年金支払い免除申請と、新型コロナウイルス対策の公的支援メニューを利用し、彼の出費を抑えるようにしました。すべて、日本語での対応となるため、日本語があまり読めない彼に代わって、NPOリンクトゥミャンマーのスタッフやボランティア、インターンがこの業務を担います。

 

申請には予約をして、通訳が同行することもありました。役所も、通訳なしでは、様々な申請申し立てに不自由することがあり、すでに外国人住民の多い区役所や福祉事務所の窓口では、外国人支援NPOを歓迎する向きがあります。

 

新型コロナウイルス拡大による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置は、だらだらと1年以上続いています。その間、アルバイトで生計を立てていた彼は、月収が10万円になったり、5万円になったり、生活基盤を安定させることが難しい状態でした。

 

彼のように日本語が流暢でない外国人の場合、転職が難しいのは自分で認識しているので、初めは「仕事量がいつか復活する」と希望を抱いていたのですが、そんな悠長なことも言っていられない状況になりましたので、ハローワーク通いを始めました。

 

当会の学生スタッフと2回ハローワークに行きましたが、紹介された仕事でも、面接で落ちたり、面接前の電話での会社とのやり取りで面接ができなかったりといったことが続きました。よって、「そろそろテコ入れが必要」と判断し、私と通訳と彼の3人で、3度目のハローワークへの仕事探しに行きました。

 

 

まず、交通費支給の範囲内で、これまで経験した仕事(清掃業)かつ、外国人も受け入れる可能性のある案件を求人票でいくつかプリントし、ハローワークの職員のところに持っていきます。

 

NPOの名刺を出しますと、

「NPOが後ろ盾になっているということを、早々にハローワークにお知らせしたほうがいいですよ。50代以上の方、かつ独身の場合、何かあったときの緊急連絡先がないと、就職しにくいことがあるからね」

とアドバイスを受けました。独身高齢者が就職しにくい日本社会の現状を学びました。

 

そこで、NPOリンクトゥミャンマーが緊急連絡先および保証人になる旨をハローワーク職員の方にお伝えし、求人の新着案件のうちいくつかの清掃員募集案件を私とハローワークの方で選んで、ハローワークから電話をかけてもらいました。当会が外国人求職者の保証人になる旨も、ハローワーク職員の方から企業の人事担当者に伝えてもらいます。

 

この時に紹介していただいた工場清掃員の面接に行けることになったので、スーツを着てくるよう求職者に言い、面接で私が同行しました。NPOスタッフが同行していると、相手企業によっては安心する場合と、一人で面接に来られないのかと評価する場合とに分かれます。が、できる限り面接でのやり取りには入らないようにしつつ、彼の将来の仕事内容を把握しておくことが大事かと思います。

 

「Aの仕事は一人でできる。Bの仕事は、最初は日本人の方にフォローしてもらう必要がある」と

 仕事内容で日本人の方のご支援が必要なところを、あらかじめ企業さんにお伝えできますし、求職者の外国人にも、「Bの仕事は日本人の方のお力を借りてください」と言うことで、就職後のミスマッチを防いでいけるからです。

 

 

そんなこんなで、2020年春から2021年4月まで、約1年ほどかかりましたが、50代男性のミャンマー人の再就職につなげることができました。

 

一人の方の経済的自立には、様々な方のご支援が必要です。

 

例えば日本で生まれた日本人でも、保護者の方々の数十年にわたる教育支援があって、初めて経済的自立を成し遂げていくものですし、経済的自立が何歳でなされるかは人によって異なります。成人後の職業訓練や就職支援は、ある人にとっては人生が終わるまで続くかもしれません。

 

私自身も、毎日様々な企業や法人の方々、お客様とお話することで、実に多くの学びがあり、その学びが仕事のご提供の充実につながります。多くの人々に支えられて、経済活動ができている一人です。その「支える、支えられる」形が、日本社会の外国人に対しては、より手数が必要だったり、やり方が独特だったりするのですが、同じ社会で、支えあい、支えられ合うという意味では、同じものかもしれません。これが昨今の流行り言葉でいう「ダイバーシティ(多様性)のある」とか「インクルーシブ(包括的)」な社会という定義になるのではないでしょうか。

 

 

上記支援のために、当会の役員、通訳、事務局スタッフおよび日本人インターン生の活動があり、その活動を支えてくださっているご支援者の寄付や助成団体のご理解・ご支援がございます。当会の活動を認めてくださっているマスコミや神奈川県、横浜市の地域社会の方々のお力もございます。

他NPOや支援団体のご助言をいただくこともあります。

 

いつもご協力いただき誠にありがとうございます。

 

様々な背景の方々が関われるのが、NPOのような市民団体の強みです。引き続きご支援、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

 

(2021年5月18日 みやま さえこ)

 

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